富士山とぼく
岡崎直哉
岡崎直哉
2004年・秋、偶然入った荻窪の古書店で見つけた「写真集 富嶽三十六景」。新潮社の写真部11名が3年をかけて、富士山を撮りおろした1冊。数ある富嶽写真の中の、ある1枚にぼくは釘付けになった。当時ぼくは昭和の風景が残る商店街が好きで、日本各地のそんな景色を見つけては写真に収めていたので、富士吉田市の商店街越しに撮られた富士山の写真に、目も心も奪われたのだった。撮影されたのは1973年。ぼくが生まれた年とほぼ同じ。
懐かしい気持ちになる風景だなぁと眺めていると、変な違和感(ドキドキ)を感じた。そう、富士山だ。商店街の先に富士山。しかもでかい。嘘みたいな本当の写真。何とも言えない不思議な違和感に惹かれたぼくは、その年の冬、富士吉田へ向かった。
東京から高速バスで1時間半。車窓からチラチラと望む富士山にドキドキする。下吉田停留所に着くとぼくは待ちきれず、早歩きで商店街の方へ向かった。真冬だというのに身体は汗だく。しばらくすると商店街が見えて来た。その先には富士山! でででかい。大きなパネル画のような違和感。そう、やっぱり違和感だ。高ぶる気持ちを落ち着かせてファインダーを覗くと、興奮でピントがうまく合わない。情けない。ぼくは変な汗を大量にかきながら、あっという間にフィルム1本撮り切った。気づいたら夕方になっていて、初めての富士山を前にどんな写真を撮ったのか覚えていないまま、帰りのバスの中にいた。
東京に戻り、早速暗室へ。
真っ暗闇の部屋の中、
ふたたびあの興奮が甦った。
すっかり富士山の虜になったぼくは、インターネットで見つけた「富士山ライブカメラ」で、富士山を定点観測することにした。富士山の頂上付近は風が強く、富士山に吸い寄せられように雲が流れている。
ベストな富士山写真を撮るには、雲の流れを読むべし!と思ったぼくは、パソコン越しに富士山とにらめっこを始めた。ところがそう簡単にはいかない。にらめっこ開始から数ヶ月、何の分析結果も出ないまま、時だけが過ぎていく。それもそうだ。上空3776mの風の流れなんて、ぼくにたやすく分かるはずがないのだ。
心にモヤモヤと雲がかかり始めたある日のこと。日課となったライブカメラを見ていたら、早朝の富士山頭上に白くて丸いものがある。月だ。富士山と一緒に白い月が写っていたのだ。なんて幻想的な世界だろうと心惹かれた。
ぼくは早速撮影ポイントを探すことにする。下吉田に新倉山浅間公園・忠霊塔と言う見晴し台があるらしい。月齢カレンダーと天気予報を見ながら、ぼくはふたたび富士吉田へ向かった。
2005年・冬。2度目の富士吉田は気合いの前日入り。翌朝、まだ薄暗いうちに忠霊塔へと向かう。高台にある忠霊塔に行くには、398段の階段を上がらないとならない。「気合いだ!」と心でつぶやき、部活の朝練並みに階段を駆け上がった。だんだんと明るくなり始める空を見て、一気に焦りだす。ここで諦める訳にはいかないと、(今回も)汗だくになりながら何とか階段を上がりきった。
即座に撮影ポイントを探す。刻々と変わっていく空に迷いは禁物。ついに理想の場所を発見!余白を活かした大胆な構図で撮れる場所。ぼくはカメラのファインダーを覗き、今度はゆっくりシャッターを切った。
2019年・夏、富士吉田で写真展を開催。
氷の製造工場の跡地に出来た、FUJIHIMURO(gallery)。光栄なことに、ギャラリーのこけら落としとして、写真展「ニュー」を開催させて頂いた。15年前に古書店で偶然見つけた写真集をきっかけに富士吉田で富士山を撮り始め、その富士吉田で写真展が出来るなんて、ほんとうに夢のように嬉しかった。
あれから約1年。
世界が変わってしまった。
心配な日々がつづく。
富士吉田は大丈夫だろうか。
2021年のはじめに、富士吉田の赤松くんから執筆依頼のメールが届く。嬉しかった。メールの最後には「画面越しに見てますか?」と書かれていて、思わずニヤリ。
ぼくは久しぶりに富士山ライブカメラを見る。
2月23日・富士山の日
岡崎直哉 Naoya Okazaki
音楽、映画、書籍などを手がけるグラフィックデザイナー。仕事を通してフィルム写真に興味を持ちはじめ、2005年より本格的に写真活動を開始。現在も暗室に通って自らプリントをし、銀塩カラープリントの美しさにこだわっている。