大きな富士山

田中みずき

東京都台東区 三筋湯

「この富士山は、何処から観たものですか?」
銭湯ペンキ絵を描くと、こう質問されることが多い。

私の仕事は、銭湯のペンキ絵を描くことだ。銭湯の浴室の壁一面に描かれる壁画である。ほとんどの銭湯から「銭湯らしく、富士山を描いて欲しい」と言われる。そのために、絵葉書や写真集、旅行会社のパンフレットなどの富士山画像をなるべく観るようにしてきた。どこから観た富士山が「富士山らしい富士山」だろうか、などと考えていくためだ。

勿論、画像だけではない。新型コロナが問題になる前には、出張があると富士山が観える場所に寄り道をするようにしていた。良い富士山を観かければ、写真を撮って絵を描く際に眺めたりもする。
数年前の出張の時のことだ。
富士吉田市の近くを通り、現れた富士山に度肝を抜かれたことがある。夜通し夫が運転してくれた車を高速道路のサービスエリアに停め、朝を迎えた時のことだ。紅く光る富士山が、夜明けの空をぬらりと征服していた。

富士山が日本一大きな山だということは知っていた。目の前にあるのは、まさに大きな富士山だ。それは、もはや一目で全景を観られる大きさでは無かった。
「一目では、大きさを確認できない大きさ」といものがあるのだな、とびっくりした。
怪獣のようなそれは、ゆったりと、この世の全てを見守るように鎮座していた。

朝のピリピリする清々しい空気の中で、光る大きな山を眺め続けた。刻々と変わっていく色味も美しい。自分が何処に居るのかすら忘れて、呆然としながら眺めたのだった。
あの「大きさ」は、実際に麓の街から観ないとわからないだろう。よそ者の私は、どこからでも巨大な富士山が奥に佇む光景に、クラクラとしてしまう。

その時の写真を探したのだが、何故か見つからなかった。「写真じゃなく、その目で観ろ」という富士山からのメッセージなのだろうか。写真は無いのに、あの時の富士山の姿は忘れることができない。実際に観るということは、確かに凄いことだ。

私のペンキ絵の富士山も、実物を眺めていただかないとわからないものだと思う。
銭湯の建築や雰囲気に合わせ、数年ごとに新しい絵を描いていく。イメージ図を描いていく場合にも、現場で富士山が綺麗に観られる構図などを調整していくのでぜひご覧頂きたい。

前に描かれた絵といかに変化させていくかを考えつつ、富士山と様々な風景を組み合わせて構図を考える。そんなわけで、実は、実在しない風景を描くことも多い。何故か、富士山はどんな風景にもよく似合う。富士山が観えないわけがないだろうという気にすらなる。

東京都足立区 江北湯


東京都江戸川区 第二寿湯

最近ではアマビエなどを潜ませもする。どんなものを組み合わせているか楽しんで頂けると有難い。観るということは、面白いことだと思う。

東京都台東区 三筋湯

ちなみに、絵に描く富士山が何処からのものかは明言せずにきた。御存じのように富士山は様々な地域から眺められ、各々の地域からの姿を愛でてきた方がいるからだ。頂上の影の入り方や、窪みがあるか否か等、富士山は本当に何処から観るかで全く違う。

しかし、私の銭湯ペンキ絵の富士山の殆どは、富士吉田から富士山を観たことがある方なら、親近感を持って頂ける形のはずだ。稜線がスッと伸びて、美しい。ここまでで、明言は避ける。ぜひ、ペンキ絵のある銭湯(東京が多い)で確かめて考えて頂ければ有難い。

私も、富士山そのものを観る体験と、様々な画像で富士山のイメージを持つこと、絵に描かれた富士山を銭湯のペンキ絵で楽しむ日常との中で、あの「富士山」がどのように観えるのかを探り続けていきたい。

田中みずき Mizuki Tanaka
銭湯ペンキ絵師。1983年生まれ。明治学院大学在学中に銭湯ペンキ絵師・中島盛夫氏に弟子入り。大学院修了後、出版社編集業等を経て、アートレビューサイト「カロンズネット」元編集長。2013年より夫の「便利屋こまむら」こと駒村佳和と銭湯のペンキ絵を制作。通常の銭湯でのペンキ絵制作に加え、企業PR用ペンキ絵、展覧会、イベント、ワークショップなどペンキ絵を使って銭湯に関心を持って頂ける活動を模索している。2021年5月、初の著書『わたしは銭湯ペンキ絵師』(秀明大学出版会)出版。
(Profile Photo by ガヂヲ)