僕と私の好きな森 – 山梨に暮らせば –

平野真菜実

あたたかい格好をして、湖畔で淹れる一杯のお茶は、わたしにとって富士北麓の春の風物詩。

玄関にはお気に入りのカゴを置いて、いつでもどこでもハーブティーやコーヒーを淹れられるようにセットしている。

横浜に残したままの小さな部屋と、富士北麓の一軒家の二拠点生活。
ヒールもタイトなスカートもクローゼットの奥にしまって、今は山梨にいることがほとんどかな。

そんな、お気に入りの暮らし方。

大学卒業後に夫と旅に出たニュージーランドから帰国し、24歳の時に私たちは山梨へ暮らしの拠点を移した。その理由は、”あともうすこし” 自然の近くで暮らしたかったから。移住なんていうと、たいそうな理由を探してしまうけれど、そんなちょっとした自分の望みを叶える選択が今の暮らしを作っているんだと思う。

東京から1時間と30分。生活圏内に必要なものはすべて揃っていて、街の3分の2が山だというコンパクトシティ。植物に囲まれて、会いたい人にはすぐに会いに行ける、そんなバランスが 「ちょうどいいな」とつくづく思う。

旅の延長の気持ちで住み始めたこの街も、もう4年と経つくらいだからとても気に入っている。

 

毎日眺めているのに、決して飽きることないずっしりとした富士山の佇まい。どこにいても見えるシンボル。気づけば、どこか道を案内するときも、「富士山の方」「富士山に向かって走る道」なんて言ってしまうほど、私の暮らしには当たり前のように富士山の存在が染み込んでいる。

富士山ってすごい。

 

春から秋にかけて、私たちはその山の麓でハーブを育てる。

ローズマリーやタイム、オレガノ、セージにバジルといった料理のお決まりハーブから、ちょっと変わったハーブまで。ひとえにミントといえど、その数、数十種類。標高800mという、十分な日差しと夏でも風通しの良いこの環境は香り豊かなハーブを育てるのにぴったりだった。

富士山の麓に広がる森もファームも、季節に合わせて表情を変える。
変わらずそこにあり、いつだって、大切なことに気付かせてくれる植物と自然。

すこし、季節を巡りながら、ここでの暮らしの一部を綴ろうと思う。

虫や鳥がゆっくりと動き出し、遅れてやってくるこの季節。

私の知っていた春とはちょっと違う。春と呼ぶには、ずっとずっと寒い。
だけどその中で確かに感じる春のぬくもりが、宝物のように愛おしい。

誰かが遊びにきてくれるとなれば、湖畔のお茶会でもてなす。といっても、湖畔の芝生にクロスをひいて、テイクアウトしたパンに、コーヒー、家から持ってきたジャムやスナック、即席のお茶会。あとは太陽があれば文句なし。

それからこの季節の醍醐味といえば、愛してやまないあのレシピ。
5月になると森のあちこちに芽吹く木の芽を、よく洗って塩揉みした木の芽のおにぎり。木の芽とは、山椒の新芽のこと。この土地で知ってしまった春の贅沢。

実は富士山の北麓は、もともと薬草の採取地だったという。
山椒だけでなく、よもぎやユキノシタから、イラクサ、ネズミサシ、クロモジ、クコ… とたくさんの野草と木々に出会う。

富士北麓の夏は短い。やっと毛布をしまったと思えば、あっという間に羽織りものが欲しくなる。
だから、夏らしい景色や夏の似合う出来事は一瞬たりとも逃さず謳歌したい。

エメラルドに透き通る鹿留川での川涼み、日暮れの散歩、火祭り、森林浴。

 

国道139号線を境に富士山側へ登ると、ぐっと気温が下がる。私は森のクーラーと呼んでいる。

いつかニュージーランドのネルソンという海の街で出会った家族が、水道水のことを「rain juice」と呼んでいたことを思い出す。きらびやかなものがなくても、暮らしの中にユーモアを取り入れる豊かさ。自然はいつでも大切なことに気づかせてくれる。

 

ファームのハーブたちは梅雨明けとともにぐんぐん育ち、通りの道まで爽やかな香りを放ち、
次々に花を咲かせば、私はせっせとテーブルに飾る花を摘み、食卓は色とりどりに賑わう。
食後にはベルベーヌのハーブティーを淹れたい。

夏の終わりには、ファームの一角に作ったシェアファームで、野菜を育てる仲間と美味しい食事を囲む。

午前6時。ファームのハーブには霜が降り、すっかり日の入りが遅くなった朝陽に照らされて少しずつ蒸発していく。
早起きした人だけが知っている、足元で広がる自然界の小さな絶景。

 

森の木々にはそれぞれ実がつきはじめ、秋の知らせを感じる。

ヤマボウシは赤く熟し、あちこちの紅葉で赤く染まってゆく。重なる落ち葉の絨毯道。
森の中を歩いていると、同じようにこの実りの秋を堪能していた鹿に出くわす。

まるでアールグレイのように香るクロモジを楽しんでいると、今日は仕事を休みにして、いつまでも森に居たくなる。
「せっかくならお弁当でも持ってくればよかった」なんて、名残惜しい気持ちで森を出る。

富士山の北麓は冬が一番美しい。

きん、と張り詰めた空気の中で瞬く星。あまりの寒さに、温かいお茶を淹れたマグカップで両手を温める。

「忘れられない景色は?」と聞かれたら、一年目の冬、富士山にはじめて雪が積もった朝かもしれない。
寂しげだった山肌に、ずっしり雪化粧した朝。カーテンを開けて、急いで夫を呼び、思わず心を奪われたあの朝。

落葉した木々の中には、常緑樹の “愛の木” ヤドリギがひときわ目立つ。
いつもの森の入り口にまあるく宿るヤドリギに、すこし甘い気持ちにさせられる。

 

雪が溶け、ふきのとうが顔を出せば、春はすぐそこ。

私は、どうしようもないほどこの森と自然に心を惹かれる。
どんな時も変わらずそこにある永遠のような安心感と、巡る季節の一瞬の儚さ。

生命を感じる柔らかい土、雨上がりの緑の匂い、積雪の中の静寂。
この山の麓で暮らすからこそ知れた美しい情景の数々。

 

もうすぐ5回目の暖かい季節を迎える。

この森をもっと好きになってしまいそうな気がする。

平野真菜実 Manami Hirano
1992年生まれ。大学在学中に結婚し、卒業後ニュージーランドに長期滞在。富士北麓で生産を行うハーブを通して、より多様な暮らし方を提案する。植物と暮らしのブランド「FLOWERBARN lesmyrte」主宰。
@its_manami
@flowerbarn_lesmyrte