ふじさん

坂本大三郎


僕が生まれ育った千葉市から、天気が良い日は富士山がみえます。
富士山をみると、僕は祖母を思い出します。
それは祖母の名前が「ふじ」さんだったからです。

日本に古くから根付いていた山岳信仰では、山は母なる山だとか、生命の根源とか、とても神聖なものだと考えられていたそうです。子供の頃の僕は、そんなこと知りませんでした。でも、その高さや姿の美しさから富士山は日本一のすごい山だと思っていました。

富士山はそんなにすごいのに、ぼくの祖母のふじさんは、黒い猫をかわいがっているとってもおとなしい人で、ちっともすごくありませんでした。

僕には、ふじさんがおしゃべりしている記憶がなかなか思い出せません。この文章を書いていて、とってもか細い声で「大ちゃん、ゴニョゴニョゴニョ」としゃべっていたことをわずかに思い出したくらいです。

僕が保育園に通っている頃は、ふじさんは僕の家の近所の小さな平屋に住んでいました。その後なにかの事情があって、僕の家で暮らすことになりました。どんな事情があったのかは子供だったのでわかりません。どの家庭にもきっとあるような、ちょっとした問題だったのではないかと想像しています。

当時、僕たち家族は両親と兄二人に僕の合計五人でした。暮らしていた家は、一階は八畳の居間とキッチン、二階は四畳半と六畳の二部屋と、とっても狭まかったので、ふじさんは、どこか居心地悪そうでした。そのためか、それからしばらくして、家の猫の額ほどの庭に、ふじさんの部屋であるプレハブが建てられました。
ふじさんは仕事をしていなかったと記憶していますが、それでもちょくちょく出かけていたようです。たまに駅前の小さなデパートで買ってきたプラレールやゴム製のトカゲなどのオモチャをおみやげでくれました。僕はそのオモチャを大切にしていましたが、いつのまにか捨てられてしまいました。片付けが苦手な僕の持ち物を、定期的に捨てることが家を健全な状態に保つための、母の家庭内での仕事でした。

僕が小学4年生の頃、ふじさんは体調を崩して寝込んでしまいました。プレハブでずっと寝たきりになり、プレハブには僕の下着が入ったタンスがあったので、お風呂に入る前に僕はふじさんが寝ている部屋に行きました。心配になって「おばあちゃん大丈夫?」と声をかけると、その頃にはもう「うーうーうー」とうめき声しか出せなくなっていました。ふじさんは何かを伝えたいのかも……と思いましたが、僕にはどうしていいかわからず、「じゃあ行くね」と部屋を出ました。それが生きているふじさんとの最後の思い出です。

ふじさんが亡くなって、僕は泣きました。大泣きでした。生きているときはふじさんと関わりが多かったわけでもないのに、ふじさんが居なくなったことがこんなに悲しいなんて、もっとたくさんふじさんと触れ合いたかった。自分でも驚くくらいショックを受けたことを覚えています。

先日、「フジサンノフモト」から原稿の依頼をもらったとき、僕のあたまの片隅にいたのは、弱々しいふじさんの姿でした。
僕は「フジサンノフモト」の取材のため、富士吉田市を訪れ、その日は千葉にある実家に戻りました。そしてキッチンで食事をしているとき、「うちのおばあちゃんは茨城からお嫁に来たんだっけ?」と母に質問をしました。
祖母は茨城の和菓子屋からの箱入り娘で、幕張の家に嫁ぎ、その後、祖父が経営をしていたレンガ工場がある満洲に移り住みました。
祖父は祖母が母を身籠っているときに、突如40歳で肺炎のためこの世を去り、母が生まれたすぐ後に、日本が戦争に負けました。そのことは、僕が子供の頃から母親から聞いてきた話です。
しかし、その日はさらにその続きの話を母がしました。満洲からひきあげるとき、生まれたばかりの赤ん坊(僕の母のこと)は足手まといになるので置いていけと、親戚中の人からふじさんはいわれたそうです。しかしふじさんは赤ん坊をしっかり抱きかかえたまま、けっして離そうとはせず、とうとうみんな根負けして、僕の母は日本に帰ってくることができた、というのです。

母が語った、そのふじさんは、僕の記憶に中にいる弱々しいふじさんとはまったく異なる姿でした。ガツンと頭を殴られたような衝撃でした。
弱々しいとばかり思っていたふじさんに、そんな強い女性の側面があったなんて。いままで勘違いしていたことを申し訳なく思うとともに、ふじさんのことを誇らしくも思えました。その強さがなければ、母は中国に置き去りにされ、僕はこの世に誕生することができなかったのです。

いままでそんなことを話してこなかった母が、なぜ今になってそんなことを語ったのかも疑問でしたが、もしかしたら草葉の陰からふじさんが、「大ちゃん……ゴニョゴニョ、私はそんな弱い女じゃないのよ、ゴニョゴニョ……」と伝えたかったのかもしれません。

これから雄大な富士山を見上げるとき、僕はそれと同じくらい雄大なふじさん……というのは、まだ違和感がありますが、弱々しいだけではない祖母の姿も、頭の片隅に思い浮かべるでしょう。

坂本大三郎 Daizaburo Sakamoto
芸術家、作家、山伏。千葉県生まれ。自然と人の関わりの中で生まれた芸術や芸能の発生、民間信仰、生活技術に関心を持ち東北を拠点に活動している。著書に『山伏と僕』(リトルモア・2012)、『山伏ノート』(技術評論社・2013)、『山の神々 』(株式会社 エイアンドエフ・2019)等。芸術家として、山形ビエンナーレ(2014、2016)、瀬戸内国際芸術祭(2016)、札幌モエレ沼公園ガラスのピラミッドギャラリー『ホーリーマウンテンズ展』(2016)、リボーンアート・フェス(2020、2021)等に参加。