思い出すことなど

若菜晃子

富士山といわれてまっ先に思い出すのは、会社員時代最大ともいえる失敗である。それは私が20代の頃、登山の専門出版社に勤めていたときであった。

当時、月刊誌の編集部に在籍していた私は、ひとたび山の取材に入ると数日かかることもあって、出社の日は深夜まで残業するのがふつうの生活であった。富士山取材の前日も仕事を片付け、終電で家に帰り、山行の準備をした後、友人と電話をし、寝床に入ったのはたしか深夜の2時過ぎだった。山へ行く日の朝は早いが、明日何時起床、と覚えると必ず時計が鳴る前に起きる癖がついていた私は、早起きに絶対の自信があったので、その晩もなんの不安もなく寝た。親しい友人との電話で安らいでいたことも大きかった。

翌朝、目が覚めたときの気分は悪くなかった。時計を見ると9時45分だった。私は上体を起こしてうすぼんやりと、今日、なにか大事な用事があったんじゃなかったかな? と思った。その次の瞬間、あっ今日、取材だった! と気づいた私はとっさに、富士山とは逆の方向に全速力で走って逃げ出したくなった。

しかしむろんそんなことができるはずもない。同行のカメラマンとの待ち合わせは6時50分新宿駅で、7時発の特急あずさに乗る予定であった。その日の取材相手は以前インタビューでお会いした落語家のS師匠で、毎夏富士山登山を続けているとうかがったのがきっかけで、その年の山行に同行取材させていただくことになったのだ。師匠一行とは別にカメラマンと編集の私が現地で合流する手はずになっており、大事な取材でもあるので、信頼していた年輩のカメラマンNさんに撮影をお願いしていた。

私は観念してまず編集部に電話をした。携帯電話などない時代である。夜が遅く出社の遅い編集部だが、運よく早朝出勤の副編集長が出てくれて、現状を説明したところ、副編集長は落ち着いた口調で、Nさんはきっと帰ってしまわれただろうから、君はカメラを持って今すぐ行きなさい、Nさんには僕から連絡しておくからと言われた。

もちろんデジタルカメラなども普及していないので、私は自前のニコンのマニュアル機FM2とフイルムをザックにつっこみ、新宿駅から数本遅れのあずさに飛び乗った。そして乗換駅の大月で売店横の公衆電話からおそるおそるNさん宅に電話をすると、ご本人はすでに帰宅しておられ、取材がなくなったのかなと思って帰りましたと淡々とおっしゃった。私は電話の向こうのNさんに向かって平身低頭して謝り、とにかく自分が行ってまいりますので、おわびはまた改めましてと申し上げて電話を切り、今度は富士急行に飛び乗り、富士吉田駅からバスで5合目の富士吉田口まで上がった。

師匠の一行とは5合目で合流する予定だったのだが、一向に現れない私たちを当然待つことなく、もう登り始めている。宿は8合目の某小屋と決まっていたが、一刻も早く追いつかねばと、私は登山道を息せき切って駆け上がった。おかげであっけないほどすぐに、6合目付近でのんびり馬に乗った師匠に追いつき、失礼をおわびした後は一行の前後を行き来しながら取材し、夕方小屋に入った。

だが、自分史上初めての寝坊(しかも仕事で!)のショックは大きく、私はまた寝坊するのではないかという恐怖に怯えながら横になった。翌朝はご来光を山頂で迎えるため、夜明け前に起きて出発するのである。

はっと目が覚めて飛び起きると、小屋には電気がつき、まだ寝ている人もいるが、小屋の隅の布団は片づいていた。腕にはめたままの時計を見ると5時である。すわ、また寝坊してしまった! 私は全身から血の気が引いて、慌ててザックをつかんで背負い、靴を履いて外に出た。が、どうもようすがおかしい。登山道にひと気はなく、森閑として暗い空には星が瞬いている。心を落ち着けて周囲を見回し、もう一度時計を見ると、まだ夜中の12時半であった。長針と短針を見間違えたのだ。私はあたかも一度外に天候を見に行ったふうを装い、なに食わぬ顔をしてまた布団に入った。そしてほとんど一睡もすることなく夜明けを迎えた。

翌朝のご来光は5合目から夜通し登ってきた人々と前泊組とで大混雑で、山頂まで到達できずに9合5勺で迎えることになったが、一歩一歩歩いていれば必ず山頂に着く、というインタビューでの言葉どおり、今年も無事登られた師匠の表情は晴れやかだった。

もう一泊する師匠一行と別れて下りの砂走りに入り、早朝の白いもやにかすむ、上空と地上との境のない広大な風景に向かって、砂煙を上げながら一直線に駆け下りたのが、唯一といってよい山そのものの記憶である。

富士山といえば寝坊という情けない経験を残したが、ひとたび思い出すと芋づる式にさまざまな場面がよみがえり、やはり富士山登山は私にとって特別なものであった。

Nさんには後日好物のお酒とおわびのお手紙をお送りし、許していただいた。

若菜晃子 Akiko Wakana
編集者、文筆家。兵庫県神戸市生まれ。大学卒業後、山と溪谷社入社。『山と溪谷』副編集長、『wandel』編集長を経て独立。山や自然、旅に関する雑誌、書籍を編集、執筆。著書に『東京近郊ミニハイク』(小学館)、『地元菓子』(新潮社)、『東京甘味食堂』(講談社文庫)、『岩波少年文庫のあゆみ』(岩波書店)、随筆集『街と山のあいだ』『旅の断片』『途上の旅』(アノニマ・スタジオ)他。小冊子『mürren』編集・発行人