一見静かだけど、情熱的な町

蔡 奕屏

「富士吉田」という地名

初めて「富士吉田」という地名を知ったのは2018年でした。
まだ来日しておらず、台湾にいた頃でした。

その頃は、新潟燕三条の「工場の祭典」という産地型オープンファクトリーイベントにひかれ、「燕三条以外の他の産地もこのようなイベントがあるのかなあ」という素朴な疑問から検索してみました。
意外とたくさんの魅力的なイベントを見つけました。例えば、富山県高岡市の「高岡クラフト市場街」、福井県鯖江市を中心とした「RENEW」等。その中で、富士吉田市の「ハタオリマチフェスティバル」もあり、特に写真家の濱田英明さんの映像を見て非常に印象的でした。

津田沼駅から発車の直行バス

2019年に来日して、千葉県千葉市に住み始めました。
オープンファクトリーのイベントを行う産地に行ってみたいなあという夢をずっと忘れず、千葉と一番近い富士吉田市が一番行きやすいのかなあと思いました。

色々調べたら、電車で直接行ける方法はありませんが、近くの津田沼駅から発車するバスで直接行けることがわかりました。
いつか行ってみたいなと心の中で旅の計画をし始めました。

初めての富士吉田への旅は、その年の夏でした。
津田沼駅から朝イチのバスに乗ってみると、乗客が意外と多かった記憶があります。高校生のような、青春満々の陽気な少年少女たちがいっぱいいました。
「え?皆さんは全員富士吉田に行くの?あそこはそんなに人気があるの?」と疑問に思いましたが、ほとんど全員が「富士急ハイランド」で下りてしまいました。
「あ、なるほど」と納得して、結局私一人が終点の富士山駅で降りました。

大勢の若者たちと一人しかいない旅人、
ワイワイとした遊園地と静かな富士吉田の朝の街並み、
非常に相違がある雰囲気でした。
比較対照するものがあるため、富士吉田の個性が格別に浮き彫りにされていると思いました。

その後、何回も富士吉田に通いました。バス一本ですぐ普段の生活から逃避できるところになりました。
うどんを食べたり、新倉富士浅間神社まで登ったり、北口本宮冨士浅間神社にお参りに行ったり、素敵な宿SARUYA HOSTELに泊まったり。織物工場も見学に行ったりしました。
いつも一人旅で、静かな富士吉田を満喫しました。

情熱的な職人たちと工房見学

真夏のある日、
一人でGoogleMAPを見ながら、織物工場の「光織物」を訪れました。

なんとか到着しましたが、なにか見学ができそうもない様子でした。でも思い切ってそこにいた従業員さんに、「すみません、工場見学ができませんか」と聞いてみました。
すると、光織物さんの奥さんがニコニコしながら、商品の展示販売をしている小屋を開けて、色々商品の説明をしてくださいました。
さらに、少し離れたもう1つの工場まで車で案内してくださいました。初めて自動で動いている織り機を見て、大興奮でした。
最後に、奥さんが「他にどこの工場に行ってみたいですか?」と私に話しかけてくださいました。「watanabe textileさんです」と答えると、なんとそちらの工場まで送ってくださいました。

渡辺さんの「Watanabe Textile」の工場でも、ガシャガシャーと動いている自動織り機が盛んにハタを織っていました。
工場の他にもショールームが素敵すぎて、ずっとフィルムカメラで撮りまくりました。
渡辺さんに「なぜUターンしたのか」、「どのようなデザインをしたいのか」など色々な質問をすると、話がとても弾んでしまいました。
最後に、渡辺さんの車でまちのなかまで送ってくださいました。(「Watanabe Textile」工房が少しまちの中心地から離れるところにあるため)

不思議な工場見学の旅だなあと、いま振り返ってみてもそう思います。
富士吉田の皆さんが親切で、色々なところに行けたり、また色々な人との出会いができたりしました。不思議なご縁に感謝します。
(その後の展開としては、取材の関係でSARUYA HOSTELの八木さんやBeekの土屋さん等、富士吉田の素敵な方々に繋がることになって、それらも不思議なご縁です!)

富士吉田は、一見静かな街並みだけど、実は情熱的だなあと感じました。

蔡 奕屏 Tsai Yi-Pin
台湾台北出身、現在千葉在住。日台繋ぎ手、ローカル系文化研究者、台湾メディアのコラムニスト。著作『地方設計‧ローカルデザイン』の出版後、続編を製作中。