富士吉田と生地と私
重松久惠
重松久惠
富士吉田という街がたまらなく好きです。それは恋愛感情に似ていて、一目惚れではなく、じわじわ好きになる感じ。むしろ最初の印象は悪く、不気味な感じさえしました。
ファッションの仕事が長かったので、20~30年前は、服づくりのため、生地をニードルパンチ加工するのに富士吉田の工場に年に数回行っていたことが最初の出会いでした。東京から車を飛ばし、夕方から夜にかけて工場に入り、できあがった生地を車に乗せて東京に戻るというパターンだったので、富士山を見ることもなく、見ることができたとしても夜に見える黒いシルエットの富士山で、ちょっと不気味で怖い感じがしていました。
デザイナーの元夫の仕事を手伝い、会社の経営のこと、お金のこと、人の問題のことなど経営者が当然のように直面する問題で頭を悩ませている頃で、その頃の自分の精神状態を反映していたのかも知れません。
いつから富士吉田が好きになったのだろうと思い返すと、最初に通っていた頃から随分経ち、自分の人生にも大きな変化があり、新たな人生にやっと慣れた頃でした。もうファッションの仕事はやらないと思っていたけれど、ご縁がありD&DEPARTMENTのファッションの仕事を手伝うことになったのがきっかけでした。
ファッションでも社会課題の解決を目指し、D&DEPARTMENTのロングライフデザインのコンセプトに合うようなプロジェクトがしたいと考え、日本全国の生地産地に残っている生地見本や残布を使ってものづくりをすることをスタートさせたのが2014年。今でも続けているFROM LIFESTOCKという活動です。
富士吉田を中心とする郡内産地は生地産地の中でも少し特殊で、何を作っている産地というわかりやすいものがなく、産地のことを教えてくれて、織物工場を紹介してくれるキーマンが必要でした。そこで紹介してもらったのが富士技術支援センターの五十嵐哲也さんでした。最初の窓口になってくれた五十嵐さんのおかげで、この街に興味が湧き始めました。
それぞれの織物工場が個性的で多様性に富み、さまざまな戦略的な取り組みの結果、ユニークな生地産地になっていく姿を見続けていると、関わっている皆さんの努力は相当なものだろうと想像できます。他の産地では何かイベントなどをやる時に、これほどみんなで力を合わせるのは得意ではないかもしれません。
ユニークな産地としての活動が富士吉田の街を盛り上げている一方で、生地産地としての関わり方しかしていなかった自分は、織物工場と富士吉田のソウルフードでもあるうどん屋さんしか知らずにいました。
ある時に、織物工場の支援をしている家安香さんから富士吉田のHOSTEL SARUYAは泊まる価値があるから泊まってみて!と言われ、東京から日帰りできる場所ではあるけれど、素敵なお宿なので泊まってみました。快適で、オーナーの八木毅さんとの話も楽しく、これからは仕事で来ても泊まろう!とすぐにSARUYAのファンになりました。朝起きて、本町通りから見る富士山が「わ〜〜〜〜!」と声を上げるほど本当にすごい。何度もインスタとかで見ていたけれど、朝日に照らされた富士山の存在感が大きくて圧倒されます。
D&DEPARTMENTでイベントをやらせてもらう機会もあり、徐々に富士吉田の人たちとの交流も深まりました。個性的で魅力的な人が多く、その中のお一人、BAR TOTANの前田さんに富士吉田周辺を案内してもらう機会がありました。公園、神社、湖、焼き菓子の店、そしてナノリウム。富士吉田で30年続いているギャラリーのナノリウムは、噂では聞いていたけど行けていなかった場所でした。その芸術性の高い空間が富士吉田にあること自体、財産と思えます。ナノリウムで店主ののぞみさんと話をしながらお茶をしていて、何もなくてもフラッと立ち寄れる自分の居場所ができたように思えました。この時、今まで仕事の目でしか見ていなかった富士吉田の印象が大きく変わりました。
これから70歳になったら機織りを学ぼうと思っています。あと4年。学んだ後は、どこかの生地産地に引っ越しをして、手織りをしながら産地の役に立てるようなことをしたいと考えています。その一番の候補地が富士吉田。未来に向けて妄想中です。
重松久惠 Hisae Shigematsu
1956年北海道函館市生まれ。D&DEPARTMENTコーディネーター。2014年より、廃棄された服や生地見本を再利用するプロジェクトを立ち上げ、製品づくりを行っている。中小企業診断士。東洋大学大学院非常勤講師。