富士山を守る

井上義景

2020年8月12日午前4時57分。赤い光が地平線のかなたで顔を出した。じっとその姿を見つめていると、みるみるうちに大きな赤い円となり、やがて強烈な白い光を放ちはじめた。

良い御来光は「すぐに光らないもの」というのは山小屋に嫁いで50年、毎年山で夏を過ごしている母の言葉である。赤さが長く続き、太陽全体の姿が見えてもすぐには白く眩しい光を放たないものが良いということだ。それからすると、今日の御来光は最高だ。こんな素晴らしい御来光が上がっているのに、感嘆の声も、シャッター音も、万歳三唱も聞こえてこない。ただただ、風の音が響いている。

新型コロナウイルスの感染拡大によって、開山しないこととなった富士山。報道などでは、開山しないのは戦後初、などと言っていたが、戦争中も戦勝祈願や体力づくりで登山する人たちを迎えていたし、どんな状況でも小屋を開けて空気を入れなければだめだ、というご先祖様の言い伝えもある。恐らく、山小屋ができてから、いや、もしかすると、富士登山が始まって千数百年の歴史上初めての出来事ではないかと思う。

そんな歴史的事態の起こった今年、山小屋の工事のために夏のほとんどを例年と変わらず山の上で暮らすことになった。登山客の来ない富士山で過ごしたひと夏に、改めて、「山小屋は何のためにあるのか?」「これからの山小屋、富士登山のあるべき姿は?」を考えてみた。縁あって富士山の山小屋で働くようになって10年程度で、まだまだ長い歴史を語るには力不足ではあるが、せっかく頂いた機会なので書かせていただきます。

山小屋の役割

山小屋は、山頂を目指す登山客が宿泊したり、食事をしたり、食料を調達したり、お土産を買ったりすることで商売が成り立っている。しかし、単純にお客さん相手の商売をしているだけかというと、それは違うだろう。普通のホテルや旅館とは明らかに異なる役割を持っている。

何が違うのか?

一言でいうと、山小屋は、登山者を、そして山を守らなければならないという使命を持っている。

登山者を守る

富士山は自然環境が非常に厳しく、一歩間違えば命を落とす危険がある。そこに来る登山者は、過酷な環境から身を守り、一夜を明かすために山小屋に宿泊する。雷や強風などで、ほうほうの体で小屋に避難してくる人がいるが、中には命を落とす人もいる。だからこそ、悪天時に軽装で登っていたり、危険な行動をしている登山者には注意をする。

また、山の上で傷病者が出た場合、救急車は標高3000mまでは来ないので、山小屋のスタッフが救助に行くことになる。そのために各小屋でお金を出し合って、救助用のブルドーザーを借りており、小屋のスタッフにその免許を取得させている。山の救護所の運営にも山小屋が協力して、万が一の事態に備えている。登山者を守る、というのが山小屋の第一の使命である。

山の環境を守る

また、山小屋は、登山者にゴミを捨てないように指導をするし、それでもゴミを落としていく人はいるので、行政との協力のもと、ゴミ拾いを定期的におこない、山の美化に努めている。自然環境へのインパクトの少ないトイレを導入して、山が屎尿だらけにならないようにしている。そういう意味で山小屋は、山の環境を守っている。

山の持つ雰囲気を守る

富士山の山小屋は、100年、200年と続いているところが多い。小屋には、昔から小屋を守ってきた神仏が祀られているが、そもそも富士山の山小屋は、山における祈りの場であったという考えもある。富士講にもつながる山岳信仰の元祖である修験道の聖地、大峰山には山中に靡(なびき)と言われる神仏が宿る拝場、行場が75あり、宿泊施設も兼ねる箇所もある。富士山にもそういった拝場があり、それが山小屋になったというのも十分にあり得る話である。

富士山は、古来、信仰の対象として栄えた神聖な山であり、現代の登山客でも神聖さを感じる人は多い。歴史がある山には、その山が守るべき雰囲気というものがある。それは、遠い昔から現代に至るまで、いくつもの時代を超え、登山者だけでなく、日本人が富士山に対して抱いてきた心の蓄積によって作られてきた雰囲気である。山小屋は、そうして受け継がれてきた雰囲気を守る必要があると信じている。

山での平等を守る

山では、金持ちでも、貧乏でも、老人でも、若者でも、自分の足で一歩一歩登らなければならない。富士講の教えにも、身分や男女の平等を説くものがあるが、それは御山が我々にそうさせていることを伝えているのかもしれない。すべての人が平等に、助け合っていかなければ、皆が無事に登って降りることはできない。だからこそ、いくら大金を出すと言われても、ちょっと足が痛いくらいで救助用ブルドーザーをタクシー代わりに出すことはない。中には、「金ならある!これをしろ、あれをしろ!」という人もいるが、山の上では1人の我がままを通すことで、他の多くの人に迷惑をかけることをさせてはならない。山小屋は、山の上での平等を守る必要がある。

これからの富士登山

山小屋の使命を上のようなものだと考えると、コロナ禍の中でどのような山小屋を目指していけばよいのか、というのも自ずと見えてくる。

登山者を守るには、まずは、営業を可能にするというのが第一である。来年こそは登りたい、という声は今から既に多く聞こえてきているが、そうした思いに応えられるように、山小屋内での感染を防ぐため、消毒や換気、パーティションなどの対策をして営業することになるだろう。さらに、収容人員を大きく減らすといった大鉈をふるうことも厭わない。そもそも、これまで「山小屋だから」ということで1畳に2人近くの窮屈な寝床であったが、本当に登山者の安全を考えたら、もう少しゆったりと、しっかり休める程度の広さが望ましい。もちろん、多くの登山者が来る以上、泊めなければ危険が増す、というのはもっともではあるが、コロナウイルスをきっかけに、根本的なところを見直す必要もあると思う。ゆったりと快適に寝られるようになれば、登頂率もあがるだろうし、宿泊の満足度も上がるのは間違いない。

山小屋が収容人員を落としても、宿泊しない弾丸登山者が増えては、雷や強風などの荒天の際や、落石、噴火といった災害時には結局小屋に入ってもらうことになり、混雑が避けられない。そういった事態を防ぐためには、弾丸登山の完全禁止や、入山完全予約制というような大きな変革が必要である。弾丸登山は具合が悪くなって救護所にかかる人が多かったり、登頂率が低かったり、登山者のためにもならない。真夜中に登山道の渋滞に巻き込まれるより、明るい時間にのんびり登ったほうが楽しいだろう。

また、山の雰囲気を守る、という点においては、山頂まで登山者みずから歩いて登るという昔からの文化を絶対になくしてはならない。よもや山頂までのケーブルカーやロープウェイなどできないと思うが、登山道が巡礼の道として世界文化遺産に指定されている以上、一歩一歩登って山頂に達し、御来光に祈りを捧げそれぞれの想いを果たすという歴史的な行為を台無しにするのは絶対に避けるべきだ。さらに言えば、五合目までの登山鉄道についても、環境性能の高い自動車が多い時代に、大きな工事をしてまで建設する必要があるのか、また土砂災害、雪崩災害の多い富士山で、復旧に時間のかかる鉄道システムを導入することには疑問を感じざるを得ない。

むしろ、そういった「マス」なシステムを使うのではなく、麓から歩く伝統的な登山を楽しんでもらうことをお薦めしたい。富士吉田の町を早朝に出発し、朝の浅間神社に登山安全祈願の参拝をして登山道を歩き始めれば、夕方までには山小屋にたどり着くことができる。車内の混雑もなく、標高への順応もゆっくりでき、高山病にかかるリスクも低く、歴史のある巡礼道を楽しみつつ、山麓の森林が徐々に荒涼とした火山地帯へ変化するのを目の当たりにすることができるなど、良いことずくめである。

登頂後は、富士吉田の街に繰り出し、神聖な山に登ったあとの精進落としをするとよいだろう。麓の街で自ら登った富士山を眺めて過ごすことで、より富士山を感じることができるはずだ。

この街に住み始めてまだ10年ちょっとではあるが、その間で富士吉田の人たちの富士山に対する意識は大きく変わったような気がしている。移住者の増加による富士山の再発見や、富士山学習などの教育機会の増大もあるが、もっとも大きな要因は外国人旅行者が忠霊塔に殺到したり、本町通りの富士山が世界的に有名になったりと、市民にとってはそこにあって当たり前の富士山が、世界の中でどれほど重要な位置を占めているのかが実感されるようになったことだと思う。

富士吉田は歴史的には富士山信仰で栄えた街だとも言われるが、現代において富士山に関わる仕事をしている人は多くない。しかし、今、観光客を通じて、富士山と繋がる市民が増えている。山小屋も、富士山に訪れる登山客を富士吉田の街と繋げる努力をもっともっとするべきで、そうすれば絶対にオモシロイことを産み出していくに違いない。山小屋で扱う商品や食品に地元産のものを使えたらなんと良いだろうか。コロナで来訪者が少ない今こそ、富士山をゆったりと楽しんでもらえる街、富士山を盛り上げていける街を作っていく絶好の機会である。

井上義景 Yoshikage Inoue
中学校から大学院まで10数年、山岳部に所属し日本全国(+外国も少し)の山を飛び回ってきた根っからの山好き。学生時代にガイドの仕事で働いた八合目太子館で、富士山の魅力の虜となる。その後、縁あって太子館の跡取りとなる。現在、山小屋業務に奮闘するかたわら、冬のオフシーズンには大工の修行中。趣味は富士山グッズ集め、各地の食と酒を愉しむこと。